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2026/08/04 13:50

 珈琲の起源と伝播

皆さまが日々飲んでいる珈琲が、そもそも熱帯に育つ植物の種子から作られていることをご存じでしたか?

植物学上、コーヒーノキはアカネ科(Rubiaceae)、コーヒーノキ属(Coffea)に分類されます。コーヒーノキ属には数多くの種がありますが、現在、世界で生産されている珈琲の大部分を占めているのが、アラビカ種(Coffea arabica)とカネフォラ種(Coffea canephora)です。

一般的には、世界の珈琲生産量の約60%をアラビカ種、約40%をカネフォラ種が占めています。なお、カネフォラ種は「ロブスタ」という呼び方のほうが、皆さまには馴染みがあるかもしれません。

珈琲の起源については、現在でも分かっていない部分が多く残されています。

有名な話としては、山羊飼いの少年が登場する「カルディ伝説」や、修道者が珈琲の実を発見したとされる「シーク・オマール伝説」などがあります。その辺りのお話は、またいずれ詳しくご紹介したいと思います。

今回は伝説から少し離れて、アラビカ種とカネフォラ種が、どのように世界へ広がっていったのかを見ていきましょう。

アラビカ種の起源

まず、アラビカ種の原産地はエチオピアです。

エチオピアの森林に自生していたアラビカ種は、15〜16世紀頃までには紅海を渡ってイエメンへ持ち込まれ、栽培作物として定着していったと考えられています。

そしてイエメンはその後、アラビカ種が世界へ広がっていく大きな起点となりました。

世界を一周したティピカ

17世紀末になると、イエメンからインドへ渡っていたコーヒーの種子が、オランダ人の手によってインドのマラバール海岸からジャワ島へ運ばれます。

1696年と1699年にジャワへ送られた種子は、この地で定着に成功しました。

以前は「イエメンからジャワへ直接運ばれた」と説明されることも多かったのですが、近年の研究では、イエメンからインドを経由してジャワへ渡った可能性が高いとされています。

そして1706年、ジャワ島で育ったコーヒーの木のうちの1本が、オランダのアムステルダム植物園へ送られました。

さらに1714年、その木から育てられたコーヒーの木が、アムステルダム市長からフランス国王ルイ14世へ贈られます。

この木は、後に「ノーブルツリー」として知られるようになり、新大陸におけるコーヒー栽培の重要な出発点となりました。

オランダからは1719年にスリナムへ、そこからフランス領ギアナを経て、1727年にはブラジルへと伝わっていきます。

一方、フランスへ渡ったコーヒーの苗は、1723年、フランス人将校ガブリエル・マチュー・ド・クリューによってカリブ海のフランス領マルティニーク島へ運ばれました。

そこからジャマイカ、サントドミンゴ、キューバ、メキシコ、そして中南米各地へと栽培が広がっていきます。

これが、後に栽培品種「ティピカ」と呼ばれる系統の主な伝播ルートです。

つまりティピカは、

エチオピアからイエメンへ渡り、インド、ジャワ、ヨーロッパを経て、最後は新大陸へとたどり着いた

ということになります。

いったん東へ向かったコーヒーが、今度はヨーロッパから西へ向かい、まるで地球を一周するような経路をたどったわけです。

普段何気なく飲んでいる一杯の珈琲ですが、その背景には、これほど壮大な旅が隠されているんですね。

もう一つの系統、ブルボン

ティピカとは別の経路をたどったアラビカ種もあります。

18世紀初頭、フランス人はイエメンからブルボン島、現在のレユニオン島へコーヒーを持ち込もうと、何度か試みました。

1708年、1715年、1718年に導入が行われ、そのうち一部のコーヒーの木が島への定着に成功します。

これも同じくエチオピアを起源とするアラビカ種ですが、ブルボン島という限られた環境で長い間受け継がれたことによって、ティピカとは異なる特徴を持つようになりました。

この系統が、後に「ブルボン」と呼ばれるようになります。

ブルボンは19世紀になると、フランス人宣教師たちによってザンジバルを経由し、現在のタンザニアやケニアなど東アフリカへ広がっていきました。

さらに1860年頃にはブラジルへ導入され、そこから中南米へも広まっていきます。

ティピカがインドやジャワ、ヨーロッパを経由して世界を大きく巡ったのに対し、ブルボンはインド洋に浮かぶ島を経て、アフリカ大陸の東岸へと南下していきました。

このティピカとブルボンの二つの系統が、現在のアラビカ種における主要な伝播ルートとなっているわけです。

病害をきっかけに広がったカネフォラ種

これに対して、カネフォラ種が世界的に広がった歴史は、アラビカ種と比べると非常に浅いものです。

カネフォラ種は、中央アフリカから西アフリカにかけての熱帯地域を原産地としています。

現地では古くから利用されていたと考えられていますが、栽培に関する記録が確認されるのは1870年頃からで、植物学上の新しい種として正式に記載されたのは1897年です。

その後、コンゴからベルギーのブリュッセルへ送られた種子が、20世紀初頭にジャワ島へ持ち込まれました。

カネフォラ種が急速に広まるきっかけとなったのが、コーヒーの「さび病」です。

19世紀後半、さび病がアジア各地のアラビカ種に甚大な被害をもたらし、それまで栽培されていた多くのコーヒー農園が壊滅的な状況に追い込まれました。

そこで注目されたのが、アラビカ種よりも高温多湿の環境に適応しやすく、比較的高い病害耐性を持つカネフォラ種でした。

特にジャワ島では、その生産性の高さと、さび病に対する耐性が評価され、栽培が急速に拡大していきます。

その後、カネフォラ種はアジア、アフリカ、中南米の熱帯地域へと広がり、現在では世界の珈琲生産を支える重要な種となっています。

アラビカ種が数百年もの時間をかけて、人の手によって少しずつ世界へ運ばれていったのに対し、カネフォラ種は、病害への対抗手段として、わずか数十年の間に急速に普及していきました。

同じ珈琲でありながら、その広がり方には、これほど大きな違いがあるんですね。

一杯の珈琲に隠された壮大な歴史

今回は、珈琲の起源と伝播について見てきました。

現在、世界中で栽培されている珈琲も、もとをたどれば、エチオピアやアフリカの森林に育っていた、ごく限られたコーヒーの木から始まっています。

海を渡り、国を越え、ときには病害や時代の変化に翻弄されながら、珈琲は現在の私たちのもとへたどり着きました。

そう考えると、いつもの一杯も少し違って見えてくるのではないでしょうか。

次回は、今回も少し触れた「ティピカ」や「ブルボン」をはじめとした、珈琲の品種について詳しく解説していきたいと思います。

それでは、ハヴァグッドコーヒータイム。